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NOEL & GALLAGHER "PLAY LOUD" REREASE TOUR in NIIGATA

★2/11(土・祝日)
[ NOEL & GALLAGHER "PLAY LOUD" REREASE TOUR in NIIGATA ]


♪LIVE & HAPPY DANCE MUSIC
OPEN 22:00〜ALL NIGHT
前売&HP予約 2,980yen-1drink
当日 2,980yen

@The PLANET [ http://www.the-planet.jp ]
新潟市中央区万代1-3-1 万代シネモールビルB1
TEL: 025-247-3511
※オールナイト公演のため18歳未満(高校生)入場不可 [ ID CHECK有り ]

●NOEL & GALLAGHER のプロフィールをぼくが紹介する、というのもおかしな話だが、彼ら二人を引き合わせて互いに紹介したのは自分なので、すこし責任があるのかも知れない。
高松のDJ NOEL こと、辻一臣くんと知り合ったのはもう何年前のことになるのだろう。
DJプレイは素晴らしいし、それ以上にオモシロイ人物で、初めて会ったときから強烈な印象を持った。彼のDJセットの最中に教えてもらったブレイクビーツをちゃっかり自分のネタにしてしまったこともあった。
そんな彼が去年、満を持して発表した「BOUTIQUE」、というミックスCDを送ってくれて、オレのことも忘れずにいてくれたんだなサンキュー、と気軽に聴いてみたら、これが素晴らしい作品で驚いた。驚いた矢先、久々に彼から連絡があって、高松の<VOYAGE>というクラブで一緒にDJをしたのだが、これまた忘れられない夜となった。明け方近く、どちらが誘うでもなく、いわゆるバック・トゥ・バック、つまり1曲交替のセットを二人で始めたら、これが止まらない。ウィンブルドンのテニスか、中国の卓球か、あるいは将棋の名人戦か、というような大接戦で、延々と終わらないのだ。
翌日の昼食に入ったうどん屋でも、あんな面白かったB2Bは初めて、という話をしたら、彼も同様だったようで、このままCDにしたい、と言う。たぶん辻くんのアタマの中で、何かに火がついてしまったのだろう。彼から熱心に誘われたのだが、ちょうど自分は生まれて初めてのソロ・アルバムの制作の真っ最中、とてもそんな時間を作ることが出来ない。
そんなモヤモヤとした気持ちで東京に戻ったのだが、羽田空港に到着した途端に閃いたのだった。ーーオレの替わりに、アイツを紹介しよう。
アイツ。その男は自分と同じく、本業は音楽制作だが、趣味でやっているというDJはもはや趣味の範疇を越えている。ただお金になっていない、というだけだ。年齢も同じくらい。好きな音楽もDJスタイルも何もかも、かなり似ている。似ているだけに、ときどき自分の知らない曲を掛けていると何だか許せない気持ちになる。ときどき都内のレコード屋で鉢合わせすると、お互いいい年なのでうわべは紳士的に振舞うものの、心の中は敵愾心ギラギラ、言わばライヴァル的な存在なのだ。
ここまで書けば、自分の周囲の友人ならば、誰のことを言っているのか判るはずだが、あくまで本人はDJは本職じゃないから、の一点張り、絶対に名前は書いてくれるな、という。
さっそく紹介すると、辻くんは興味を持ったらしく、すかさずレコードバッグを引っ提げて東京にやって来た。
「キミがDJ NOEL ってわけか。じゃあ、オレはDJ GALLAGHER だな」
その日から二人は意気投合して、まずは都内のDJ GALLAGHER の仕事場でCDの収録時間いっぱいに当たる75分を一本勝負として、計3回ものB2Bのセッションをしたらしい。  会ったその日から相性は良く、これで自分の仕事は終わった、と思ったのだが、上機嫌のDJ NOEL が、やっぱり人前でやりたい、お酒も入ったほうが調子が出るし、と言い出したので、慌てて池袋の知る人ぞ知るスナック「馬場」のマスター・馬場正道くんに連絡を取った。すると、翌日の土曜日は店を使っても構わない、という。
さて、土曜日。その日も午後からウォーミング・アップとばかり、DJ GALLAGHER の仕事場で何度かセッションし、いよいよ夜は池袋の「馬場」へ。
仕事があった自分は、夜の9時半頃に池袋に到着したのだが、もともとカウンターに8席のストゥールがあるだけの小さなスナックは、早くも噂を聞きつけてやってきた二人の友人たちで既に埋めつくされていた。
その晩ふたりは伝説を作った。ーーその店に居合わせた人は異口同音にそう話していたが、そのことについて、ここで自分は何も書かないことにする。その夜の「伝説」は、いわばオブザーバー的な立場にいた自分には、とても語ることなど出来ない。たとえば、やはりその晩、彼らふたりのDJセットを聴きに来ていた梶野彰一くんとか、自分よりもっと語り上手な人に話してもらうとよいだろう。 
その晩はたった二回のB2Bが行われ、その二回目のB2Bが、このアルバム「PLAY LOUD」、の一枚としてそのまま収録されている。ともかく、彼らのことはもう少し見守っていたいと思う。 オレに迷惑が掛からない限り、どうかたくさんの伝説を作ってください。(小西康陽)

●小西康陽
1959年、札幌生まれ。1985年、ピチカート・ファイヴのメンバーとしてデビュー。
作編曲家。DJ。2009年、ミュージカル「TALK LIKE SINGING」(三谷幸喜 演出・脚本)の作曲・音楽監督を務める。現在は前園直樹グループの一員としても活動中。ピチカート・ファイヴ解散から10年目にあたる2011年3月31日、キャリア初となるソロ・プロジェクトPIZZICATO ONEの始動を発表。5月25日にユニバーサル・ミュージックからアルバム『11のとても悲しい歌』が発売される。
・PIZZICATO ONE オフィシャルサイト [ pizzicato1.jp ]
・NHK-FMにてレギュラー番組「小西康陽 これからの人生。」が放送中(毎月最終水曜日午後11:00~深夜0:00)[ http://www.nhk.or.jp/konishi/ ]

●バニラビーンズ
バニラビーンズとは・・・
北欧の風にのってやってきた、清楚でイノセンスな雰囲気を持つ“オシャレ系アイドル”。
数々のユニークなプロモーションを行なう“実験型アイドル”でもある一方で、ビジュアルとサウンドは一流クリエーター達の手によって徹底的にオシャレに作られており、アーティストや有名クリエーター達からの支持も厚い。
ロート製薬のテレビCMへの出演や、auラジオCMソングの歌唱、コンバースのブランドキャンペーンモデルなど、幅広い分野で活動。
また抜群のトーク力と、“アイドルオタク”と“リアルセレブ”というメンバー2人の持ち味を生かし、テレビ、ラジオ、WEB等でレギュラー番組を持つ。
2011年6月、徳間ジャパンコミュニケーションズから、タワーレコードの新レーベル「T-Palette Records」にレンタル移籍し、通産2枚目のオリジナルフルアルバム「バニラビーンズⅡ」をリリース。
そして同レーベルより2012年1月、通算5枚目のシングル「トキノカケラ」をリリースする。