お洒落街道の堀江街。
堀江活性化プロジェクトとして
I LOVE HORIE PROJECT 始動。
堀江にある衣食住のお店が協力店となって
堀江の夜をお洒落に盛り上げます!!!
堀江No1イベント!!!
そして堀江名物コベントバーガー!!!
某有名雑誌に掲載された
高さ13cmのハンバーガーをご賞味あれ☆
協賛 株式会社メルシャン
http://www.mercian.co.jp/
ENTRANCE
DOOR 2000yen/1D
A D V 1500yen/2D
(Lady's welcome drink ticket present)
↓コベントガーデンへの行き方はこちら↓
http://www.youtube.com/watch?v=NR4geJoEojw
I LOVE HORIE PROJECT 協力店一覧(5%?10%OFFや来店特典がございます)
http://www.ago-pro.com/project/i-love-horie-project/
コベントガーデン WEB: http://r.goope.jp/covent-garden/top 協力店
THIRD ASH WEB : http://ash0099.com/index.html
Tattoo&Piercing MiyawakiWEB: http://www.miyawakitattoo.com/
VaselinesWEB: http://www.vaselines.jp
やきやき 晴の花(鉄板焼き)WEB: http://www.haru-no-hana.com/
Flamingo(BAR & CAFE)
中目卓球ラウンジ南堀江店WEB : http://albe.co.jp
戦後の堀江
堀江は大阪大空襲で灰燼に帰したものの、再び材木業や家具販売業、堀江新地などが復興した。しかし時代は水運から陸運へと変わり、堀江をめぐる川は西道頓堀川と木津川を除きすべて高度成長期に埋め立てられた。渋滞の激しく土地の狭い市内から材木業は郊外へと移転した。堀江新地も廃止されその面影は雑居ビルや駐車場となり消えていった。
家具屋街として知られた立花通りは高度成長期には空前の繁栄を見たが、次第に市民の郊外への転居、郊外の大型家具店の登場で廃れ始め、1990年代には人通りがほとんどないまでに寂れてしまった。
堀江の商業地としての復活
平成10年(1998年)ごろを転機に、堀江は再生への道を歩み始めた。
廃業寸前だった立花通りの家具屋はバブル崩壊後、息子たちの代の経営者に代替わりし、1992年ごろから
「オレンジ・ストリート」の愛称やフリーマーケット、ベストカップルコンテストなど若者向けの催しを企画し始めたが、西横堀川(阪神高速1号環状線)の東側のアメリカ村からは若者がなかなか流れてこない状態で、家具を購買させるにはいたらなかった。それでも催しや「家具フェスタ」など、「家具の町」を呼びかけ続けて模索するうちに
好機が到来した。
かつて何もなかったアメリカ村で若者向けの店を開いた日限萬里子らが、堀江公園があり緑も比較的多い堀江に
注目して、ゆったり過ごせるようなカフェを開業させたこと
アメリカ村の制御不可能に陥った雑踏や騒音と訪れる客層の低年齢化を嫌った若者層が新しくできる堀江の
カフェや店舗群に注目し始めたこと。さらに決定的だったのは立花通りの家具店跡に相次いで東京から
大型セレクトショップが進出したことだった。
2001年ごろには大阪へ進出する店舗が堀江に矢継ぎ早に開業し、地元勢もカフェやギャラリー
衣料店の複合店舗などを次々開店した。立花通りの人通りは激増した。
旧来の家具屋も、セレクトショップのテナントビルに移行する者や、若者向けのインテリア店や高級インテリア店として改装する者があらわれ、再び立花通りは家具選びの選択肢として浮上するようになった。
SOHOや小規模事務所なども新規に開業し、デザイナーらの拠点としても機能し始めた。
この結果、大阪の地価が下がり続けた2000年代前半、勢いのある商業地として評価された堀江の四つ橋筋沿いの地価は下げ止まるようになった。また、治安も以前と比べて大幅に改善されている。
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