DJ SUWA's Biography
DJ SUWA (FU-TEN瘋癲)
瘋癲のサウンド面、そしてDJとしてライヴの要となり活動しているDJ SUWA。彼の音楽的な来歴は92年にDJシャーク、DJサンコンと共にDJチーム「Beat Tricks」を結成する事から始まる。京都メトロでのレギュラー・イヴェントの開催や数々のDJバトルに出場し、京都/関西シーンでの存在感を高めていった。コンピレーション・アルバム「WIRED」に“A Night”を提供するなど、トラックメーカーとしての活動も顕著になっていく。また、レーベル「ALMAKKA」を立ち上げ、インスト音源を中心にアナログ盤をリリース。SUWA自身も音源制作をする日本とプレス工場のあるアメリカとを行き来しながら、Naked TracksやDJシャークの音源リリースなど積極的なレーベル運営行う。その活動はアンダーグラウンドではあったものの、DJ KRUSHのMIX CD『Code4109』にALMACCAとしてフィーチャーされるなど、徐々に実を結び始める。その一方、96年にはDMC DJコンテストのラップ部門に出場し全国優勝を果たすなど、DJとしても活動も並行して行っていたが、SUWAは、楽曲を発表する場として音源だけではなく独自イヴェント「瘋癲」「TICKET TO RIDE」を立ち上げ、数多くのジャンルからアーティストを招き、セッションを通して楽曲、そしてイヴェント自体を構築するというオーガニックなスタイルへと進化していく。レギュラーDJ 渋谷Room Flash (http://www.theroom.jp/), NY Deity Brooklyn Delight (http://www.deitynyc.com/)
瘋癲
瘋癲の製作の中心地となったのは、M.FUJITANIの所有する京都のスタジオ「マッシヴ・スタジオ」だった。そしてスタジオにNeked ArtsのMILI、元Mond GrossoのB=BANDJ、DJ Team BEAT TRICKSのDJ SUWAが集い、各々の経験とスキルを活かしたセッションを通して瘋癲というグループ、そしてスタイルを確立していく。その動きの中で2001年には「THE BEGINING E.P」「THE OVERFLOWING E.P」と2枚の瘋癲名義のシングルをリリース、またBlueNoteのコンピレーション「NEW JAZZ STYLE」への参加など、その存在を徐々にリスナーへ明らかにしていく。そして04年、グループとして初のアルバム「MUSIC IS EXPRESSION」を発表。個々の卓越したスキルとセッションによって生み出された未知のグルーブはリスナーに大きな衝撃と新鮮な刺激を与え、瘋癲の名前を確固たるものとした。しかし同年、M.FUJITANIの急逝という悲しみがグループを襲う。だが、その悲しみに他のメンバーは立ち止まることなく、05年に2ndアルバム「FLIP HOP」をリリースし、新たなページをまた紡いでいった。そして、その輪の中にはM.FUJITANIの旧友でもあり、2nd以降トラックメイクと共にエンジニアリングを担当するGUROの姿もあった。06年に発表された3rdアルバム「PIECES OF TIMES」からはGUROが正式メンバーとして加入。2009年には4thアルバム「FREE」をリリース。そして各メンバーもソロ作品を計画するなど、活発な製作意欲を見せ、その歩みは更に新しい地平を切り開いていこうとしている。
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